夜市にて [alternative]
九月の台北の夜は
まだじんわりと暑い
寧夏夜市の愛玉は僕らの間をつるりと
冷やしていく
三十秒間だけ
仔猫というよりは赤ん坊猫の風情の君の
太い黒縁の眼鏡の先の
絶え間なく切り換わるそのフォーカスされる点
その点をつないでできるこの街の像を
やわらかく抱きしめられたら
抱きしめたのは僕ではなく
赤ん坊猫の君のほう
背伸びしたのは僕ではなく
赤ん坊猫の君のほう
熱いのは台北の空気ではなく
僕らのからだの内側のほう
いいさ
また夜市にでかけ愛玉を
つるりとやれば
それで
いい
(2011年9月の台北にて)
まだじんわりと暑い
寧夏夜市の愛玉は僕らの間をつるりと
冷やしていく
三十秒間だけ
仔猫というよりは赤ん坊猫の風情の君の
太い黒縁の眼鏡の先の
絶え間なく切り換わるそのフォーカスされる点
その点をつないでできるこの街の像を
やわらかく抱きしめられたら
抱きしめたのは僕ではなく
赤ん坊猫の君のほう
背伸びしたのは僕ではなく
赤ん坊猫の君のほう
熱いのは台北の空気ではなく
僕らのからだの内側のほう
いいさ
また夜市にでかけ愛玉を
つるりとやれば
それで
いい
(2011年9月の台北にて)
「出櫃(カミングアウト)」の作法 [alternative]
詩人のCKHはその詩の作風とは少しイメージの違う温和な人だった。グロテスクな人間の存在をえぐり出すような、猥褻さと戦闘性を兼ね備えた詩風からは距離を置く静謐な佇まい。もちろんそういう詩ばかりというわけではないのだが。いやもしかすると矛盾などなにもない、さまざまな色を持つ総体としての存在というべきだろうか。彼がかつて巻き込まれたカミングアウトにまつわる事件は、そのスキャンダラスな側面はさておき、「ゲイ」という言葉が孕むアイデンティティの政治の問題を喚起するものである。事件の顛末は、心ない人間が極道を騙り、ゲイであることを勤務先に暴露するとCKHを脅迫したというものだ。デビューした時から多くの「同志詩」を書いており、いまさら暴露するとかしないとかということに対する奇妙な違和感がCKHじしんにはあった。しかしこんなくだらない事件によって自分のアイデンティティが白日のもとにさらされることに対する怒りのほうが強かったのではないだろうか。大手メディアの取材に対し「ゲイではない」と告げたことがゲイの友人たちを落胆させたことは確かだろう。しかしそれよりもだいじなことはカミングアウトという行為は当事者が持つべき権利であり何人もそれを犯すことはできない、ということだ。芸能スキャンダル程度にしか扱わないような大手メディアに対してはカミングアウトしない権利をCKHが行使しただけの話ではないか。
─ところできみもゲイなの?
CKHが少し逡巡しながら、しかし問わなければならないタイミングで僕に問うた時、僕は一瞬どのように答えればいいか言葉に詰まってしまった。それは、メディアに対するCKHの感覚と同じではない。それとはまた別の感覚だ。ひとつは、それを言葉に出してみることの違和感と言ったらいいだろうか。「ゲイ」であることの宣言はマイノリティであることの宣言であり、意識するかしないかに拘わらず、その宣言は既に政治性と密接に関わっている。この社会が異性愛主体で構築されている以上、それと拮抗するあるいは矛盾する存在であることを認めることは政治的行為に違いない。戦略的に「ゲイ」と名乗ることによって、異性愛主義に対抗するための回路が開かれる場合もあるし、それが必要な時もあるだろう。
一方で、ゲイではない別の側面も僕にはあるのに、ゲイの宣言がそれ以外の属性を見えにくくさせてしまう、あるいは捨象してしまう恐れも感じる。言葉は制度であり、その言葉を選んだ途端、その制度にがんじがらめになってしまうという窮屈さもある。たとえば、「ゲイ」の宣言をすることで女性に恋すること、欲情することは禁止されてしまうということもあるだろう。「性」ほど奥深くわかりにくいものはない。その本人も知らない欲望が今後顕在化してくる可能性も否定できない。
たぶん、僕の逡巡、つまりCKHに問いを発せられたときの躊躇いとはそのことと分かちがたく結びついている。ある言葉を選びとった瞬間に、それ以外の言葉の可能性を捨ててしまうことへの迷い。
「出櫃(カミングアウト)」とは単に(異性愛)社会と向きあう覚悟を負わされることではない。自分のなかの暗くて深い未知とのせめぎあいのなかで、まさに自分を抉り出すような行為なのである。
【参考】陳克華「我的出櫃日(代序)」『善男子』(九歌出版、2006)
─ところできみもゲイなの?
CKHが少し逡巡しながら、しかし問わなければならないタイミングで僕に問うた時、僕は一瞬どのように答えればいいか言葉に詰まってしまった。それは、メディアに対するCKHの感覚と同じではない。それとはまた別の感覚だ。ひとつは、それを言葉に出してみることの違和感と言ったらいいだろうか。「ゲイ」であることの宣言はマイノリティであることの宣言であり、意識するかしないかに拘わらず、その宣言は既に政治性と密接に関わっている。この社会が異性愛主体で構築されている以上、それと拮抗するあるいは矛盾する存在であることを認めることは政治的行為に違いない。戦略的に「ゲイ」と名乗ることによって、異性愛主義に対抗するための回路が開かれる場合もあるし、それが必要な時もあるだろう。
一方で、ゲイではない別の側面も僕にはあるのに、ゲイの宣言がそれ以外の属性を見えにくくさせてしまう、あるいは捨象してしまう恐れも感じる。言葉は制度であり、その言葉を選んだ途端、その制度にがんじがらめになってしまうという窮屈さもある。たとえば、「ゲイ」の宣言をすることで女性に恋すること、欲情することは禁止されてしまうということもあるだろう。「性」ほど奥深くわかりにくいものはない。その本人も知らない欲望が今後顕在化してくる可能性も否定できない。
たぶん、僕の逡巡、つまりCKHに問いを発せられたときの躊躇いとはそのことと分かちがたく結びついている。ある言葉を選びとった瞬間に、それ以外の言葉の可能性を捨ててしまうことへの迷い。
「出櫃(カミングアウト)」とは単に(異性愛)社会と向きあう覚悟を負わされることではない。自分のなかの暗くて深い未知とのせめぎあいのなかで、まさに自分を抉り出すような行為なのである。
【参考】陳克華「我的出櫃日(代序)」『善男子』(九歌出版、2006)
時間 [alternative]
忠孝復興駅のエスカレーターは
ながくながく地下へとおりていく
折りたたまれた時間をひらいて
ことこととおりつづける
いちだん上のうしろから君の手は
かるく、あくまでもかるく
僕の肩から僕の声は読みとれるの?
もとは同じ正方形の折り紙
それが僕と君との百日足らず
僕は鶴を折り
君はヒコーキを折った
いまエスカレーターがひらいていくのは
折りたたまれた鶴
折りたたまれたヒコーキ
ことことと静かな機械音は
君と僕を祝福してくれているみたい
でも二人の何を祝福しているのかは
無言のまま
最初に出会ったこの地下鉄の駅で
君は曖昧な体重を僕に預けた
誰にも気づかれることなく
そしていま
同じこの地下鉄の駅で
おおげさに僕を抱きしめる
ひらいた時間の分だけ親愛の情を
こめて
ながくながく地下へとおりていく
折りたたまれた時間をひらいて
ことこととおりつづける
いちだん上のうしろから君の手は
かるく、あくまでもかるく
僕の肩から僕の声は読みとれるの?
もとは同じ正方形の折り紙
それが僕と君との百日足らず
僕は鶴を折り
君はヒコーキを折った
いまエスカレーターがひらいていくのは
折りたたまれた鶴
折りたたまれたヒコーキ
ことことと静かな機械音は
君と僕を祝福してくれているみたい
でも二人の何を祝福しているのかは
無言のまま
最初に出会ったこの地下鉄の駅で
君は曖昧な体重を僕に預けた
誰にも気づかれることなく
そしていま
同じこの地下鉄の駅で
おおげさに僕を抱きしめる
ひらいた時間の分だけ親愛の情を
こめて
同志の日 [alternative]
10月30日
この日は待ちに待った台湾プライドパレードの日。しかしここのところ風邪気味で調子が出ないし、雨模様の日が多いので、いろんな意味で心配していた。
おまけに。
この日は色々なイベントが重なってしまっている。台湾大学演劇学部のシンポジウム、プライドパレード、そしてWSHの講演の三つ。まずは午後から夕方までのパレードを優先して、シンポは午前中だけの参加(失礼)、WSHの講演は夜7:30からなので、パレード後のイベントの様子をみて移動すればよい。でも疲れそうだな…。
さて、6時半起きで中研院を出発し、朝食屋でハンバーガーとミルクティーを買って一路台湾大学へ。途中、バスに乗り換える忠孝新生駅前の公園で朝食を食べる。8時半には台大に到着したけど、いつものように行動の遅い僕は、シンポの参加申し込みをしていなかった。そのため入場はかなったけれど、論文集はもらえず。コメンテーターとして参加したLXHを通じて、主催者側になんとか余分に分けてもらって問題は解決。Q教授の『怒吼吧!中國』に関する報告を聞いてから台大を退散。それにしてもQ教授は、偉くなっても院生が研究に対するような情熱を失わない。心から敬服する。しかも性的マイノリティにもすごく理解がある。僕が先生に「台湾大のシンポとLGBTのパレードが同じ日なんですよお」と困ったように話したら「オレの話を聞いてから行けばいい。間に合うだろ?論文集をもらえば大丈夫!」と笑う。
ゲイやレズビアンの友人たちとの待ち合わせは、パレード出発会場のそばの国家図書館前。雨が時折降ったり止んだりを繰り返す嫌な天気だったが、スタート地点の凱達格蘭大道は徐々に熱気を帯びてくる。今年は選挙を控えていたこともありテーマは「OUT & VOTE 投同志政策一票」。同志政策には無関心であった台北市長候補者が直前にパレード参加を表明するなど、選挙運動に利用されるほど台湾の性的マイノリティのコミュニティは無視できない規模と厚みを備えていると言えそうだ。
待ちくたびれた2時頃にようやくパレード開始、虹のひとつひとつの色にテーマをもたせ、そのグループごとに発進。僕はもう何色でもいい、とにかく「水男孩(water boys)」のいる色に合流して(笑)、二二八平和公園を左手に眺めつつ公園路を歩いていく。可愛らしく、かっこよくもあるたくさんの人々を目の前にして、そうか、パレードとは単に政治的なスローガンを叫ぶためだけのものではないな、このお祭りをみんなで楽しみ、そしてあわよくば「目の保養」もできるんだな、と僕は思った。そう、そういう不埒さは実に人間らしい、僕らは生身の人間なのだ。
その後、公園北側の襄陽路を西へ進み、衡陽路を歩いて西門町へ。このあたりで既にかなり疲れてしまった僕ら中年隊は、路地裏のお店で人形焼を買って食べる。この人形焼、男性器の形をしているのが売りで、中にソーセージが入っているバージョンもあって御愛嬌。女の子たちも買って美味しそうに食べていた。
一休みしてまた隊伍に戻り、ちょうど歩いてきた欧米系のドラアグクイーンのオネエさんたちとうきうきしながら行進。写真を要求されるたびに「可以、没関係(イイワヨ、キニシナイデ)」と中国語で答えているのがいかにも楽しく、誇らしい。隊伍は暮れなずむ台北駅の前を、バスを乗り降りする人々を掻き分けるように進み、また公園路を通って、ゴールの出発会場へと帰ってきた。
そこからまた特設ステージでのパフォーマンス、様々な性的マイノリティの人々、とりわけ障害をもつ人々、そして今度の地方選に出馬する若きLGBTの候補者たちが登壇し、喝采を浴びる。
そしてオオトリの張恵妹こと阿密特の登場で、会場はさらに熱を帯びる。LGBTにフレンドリーなことで知られる阿密特は、歌でもそのことを表明する。たとえばそれは「彩虹」である。
阿密特は僕らに声を合わせるように、と次のように叫んだ。
「我們是同志!我們很驕傲!(わたしたちは“同志”だ! わたしたちは誇らしい!)」
同志の“同”は同性愛を示してはいるが、ここでの“同志”は、社会運動体としてのLGBT全体を緩やかに連帯する言葉として機能しているのだろう。孫文のパロディから生まれたとされるこの半ば諧謔に満ちた言葉は、いままさに力強さを備えたしなやかな言葉として生まれ変わったのである。日本に、それにふさわしい訳語がないのが口惜しいと思うのは、僕ばかりではないだろう。
夜、WSHの講演が無事に終わって、スタッフと共に火鍋を食べに行った。CP書店の担当者はふたりともゲイで、それぞれパートナーも一緒に食事に参加してくれた。僕を含めシングルのゲイも一緒に、なごやかに宴は進む。この自然な安らぎはいったいどういうことだろう。もちろん全員ゲイだということもあるけれど、女の子が一緒にいてもべつにぎこちない感じはしないだろう、そういう自然さである。
異性愛者と非異性愛者の垣根がない、あるいは低いという環境が、全てではないにしても台湾には確実にある。そしてそういう環境にいられる自分がとにかく誇らしく感じられるのである。
この日は待ちに待った台湾プライドパレードの日。しかしここのところ風邪気味で調子が出ないし、雨模様の日が多いので、いろんな意味で心配していた。
おまけに。
この日は色々なイベントが重なってしまっている。台湾大学演劇学部のシンポジウム、プライドパレード、そしてWSHの講演の三つ。まずは午後から夕方までのパレードを優先して、シンポは午前中だけの参加(失礼)、WSHの講演は夜7:30からなので、パレード後のイベントの様子をみて移動すればよい。でも疲れそうだな…。
さて、6時半起きで中研院を出発し、朝食屋でハンバーガーとミルクティーを買って一路台湾大学へ。途中、バスに乗り換える忠孝新生駅前の公園で朝食を食べる。8時半には台大に到着したけど、いつものように行動の遅い僕は、シンポの参加申し込みをしていなかった。そのため入場はかなったけれど、論文集はもらえず。コメンテーターとして参加したLXHを通じて、主催者側になんとか余分に分けてもらって問題は解決。Q教授の『怒吼吧!中國』に関する報告を聞いてから台大を退散。それにしてもQ教授は、偉くなっても院生が研究に対するような情熱を失わない。心から敬服する。しかも性的マイノリティにもすごく理解がある。僕が先生に「台湾大のシンポとLGBTのパレードが同じ日なんですよお」と困ったように話したら「オレの話を聞いてから行けばいい。間に合うだろ?論文集をもらえば大丈夫!」と笑う。
ゲイやレズビアンの友人たちとの待ち合わせは、パレード出発会場のそばの国家図書館前。雨が時折降ったり止んだりを繰り返す嫌な天気だったが、スタート地点の凱達格蘭大道は徐々に熱気を帯びてくる。今年は選挙を控えていたこともありテーマは「OUT & VOTE 投同志政策一票」。同志政策には無関心であった台北市長候補者が直前にパレード参加を表明するなど、選挙運動に利用されるほど台湾の性的マイノリティのコミュニティは無視できない規模と厚みを備えていると言えそうだ。
待ちくたびれた2時頃にようやくパレード開始、虹のひとつひとつの色にテーマをもたせ、そのグループごとに発進。僕はもう何色でもいい、とにかく「水男孩(water boys)」のいる色に合流して(笑)、二二八平和公園を左手に眺めつつ公園路を歩いていく。可愛らしく、かっこよくもあるたくさんの人々を目の前にして、そうか、パレードとは単に政治的なスローガンを叫ぶためだけのものではないな、このお祭りをみんなで楽しみ、そしてあわよくば「目の保養」もできるんだな、と僕は思った。そう、そういう不埒さは実に人間らしい、僕らは生身の人間なのだ。
その後、公園北側の襄陽路を西へ進み、衡陽路を歩いて西門町へ。このあたりで既にかなり疲れてしまった僕ら中年隊は、路地裏のお店で人形焼を買って食べる。この人形焼、男性器の形をしているのが売りで、中にソーセージが入っているバージョンもあって御愛嬌。女の子たちも買って美味しそうに食べていた。
一休みしてまた隊伍に戻り、ちょうど歩いてきた欧米系のドラアグクイーンのオネエさんたちとうきうきしながら行進。写真を要求されるたびに「可以、没関係(イイワヨ、キニシナイデ)」と中国語で答えているのがいかにも楽しく、誇らしい。隊伍は暮れなずむ台北駅の前を、バスを乗り降りする人々を掻き分けるように進み、また公園路を通って、ゴールの出発会場へと帰ってきた。
そこからまた特設ステージでのパフォーマンス、様々な性的マイノリティの人々、とりわけ障害をもつ人々、そして今度の地方選に出馬する若きLGBTの候補者たちが登壇し、喝采を浴びる。
そしてオオトリの張恵妹こと阿密特の登場で、会場はさらに熱を帯びる。LGBTにフレンドリーなことで知られる阿密特は、歌でもそのことを表明する。たとえばそれは「彩虹」である。
阿密特は僕らに声を合わせるように、と次のように叫んだ。
「我們是同志!我們很驕傲!(わたしたちは“同志”だ! わたしたちは誇らしい!)」
同志の“同”は同性愛を示してはいるが、ここでの“同志”は、社会運動体としてのLGBT全体を緩やかに連帯する言葉として機能しているのだろう。孫文のパロディから生まれたとされるこの半ば諧謔に満ちた言葉は、いままさに力強さを備えたしなやかな言葉として生まれ変わったのである。日本に、それにふさわしい訳語がないのが口惜しいと思うのは、僕ばかりではないだろう。
夜、WSHの講演が無事に終わって、スタッフと共に火鍋を食べに行った。CP書店の担当者はふたりともゲイで、それぞれパートナーも一緒に食事に参加してくれた。僕を含めシングルのゲイも一緒に、なごやかに宴は進む。この自然な安らぎはいったいどういうことだろう。もちろん全員ゲイだということもあるけれど、女の子が一緒にいてもべつにぎこちない感じはしないだろう、そういう自然さである。
異性愛者と非異性愛者の垣根がない、あるいは低いという環境が、全てではないにしても台湾には確実にある。そしてそういう環境にいられる自分がとにかく誇らしく感じられるのである。
淡水のうた [alternative]
南港から淡水まではやはり遠い。8月の最後の週末、夏の名残を惜しむ人々が、強い陽射しをものともせず賑やかに集まっている。
Tシャツと短パン姿のHは、一眼レフを肩に提げてまぶしそうな表情で僕に近づいてくる。1週間前と同じ、今起きたばかりのような眠たそうなまなざし。襟のあるシャツを着ていない分だけ大学生らしい子どもっぽさが増したように感じる。僕らは大多数の観光客がそうするように、そして僕が今まで幾度となく淡水に来たときと同じように、淡水河畔の道を臭豆腐の香りを嗅ぎながら歩く。待ち合わせを夕方の4時にしておいたのは正解だった。木陰に入った時に吹き寄せる風はもう真夏のそれではない。
河畔の道はまだまだ続くというのに、Hは僕を河畔から離れた中正路の方へと誘う。そして鉄蛋の店の前を過ぎ、通り沿いの廟の脇にある細い坂道を上がっていく。何の変哲もない坂道には、かつての洋行であったことを思わせる古い建物がひっそりと佇んでいた。坂道と目の前に広がる淡水河、その間に細長くはりつく様に建つ瓦葺や煉瓦造りの家や廟は、尾道の街を髣髴とさせる。細い坂道は清水巌という別の廟へと続いていた。その脇から更に奥へと続く細い路地は見たところなんということはない古い住宅街の風情なのだが、“重建街”という名前のこの路地が当地の政治家たちによって失われつつあることを、大学の歴史の授業で淡水の街をフィールドワークしたというHが教えてくれた。夕方の涼しい風に当たっていたおばさんにHが台湾語で話しかける。どうやら、清水巌の近くまで観光バスが入っていけるように、家並みをつぶして路地の拡幅を図るようなのだ。静かな生活を奪われ、引越しを余儀なくされる住民たちの反対運動は、ヤクザがらみの男たちに妨害され、抵抗の声を上げづらくなっている。
利権と分かちがたく結びついた政治は、国や時代を問わず、ささやかな人々の平凡な幸せを簡単に握りつぶすものなのだ。そういうささやかな人に寄り添おうと、熱心に耳を傾けるHの姿が印象的だったが、台湾語がさっぱり分からない僕は分かったような表情で一緒に相槌を打たなければならなかった。
それから僕らは、周杰倫の出身校であり映画『言えない秘密』のロケ地でもある淡江高校のキャンパスを歩いた。その隣の真理大学(旧牛津学堂)もそうだが、馬偕博士(George Leslie Mackay,1844-1901)の遺産は今も美しい建築群として残っている。馬偕氏は宣教師、医師、教育者としてこの淡水の地を皮切りに台湾に多大な貢献をしたスコットランド系カナダ人である。
このあたりから眺める淡水河の風景は、今まで見たことがない。その美しさにばかりに気をとられて写真を撮ったあと、ふと後ろを振り向くと、Hがファインダー越しに僕を見つめている。あわてて顔をそらすと、ほら、こっちを向いてと僕を促す。
─你乖,轉過來吧。
─沒什麽好看的,你不要拍我。
H、僕はこのとき、僕らの年齢差を完全に忘れていた。君が老成しているのか、僕が幼稚なのかはわからない。たぶんその両方なのだろう。
Hの部屋で、鯨向海の詩集や王盛弘のエッセイやよしもとばななの小説を眺めながら、僕はまるで長いこと会っていない大学の同級生に会ったような気分になったものだ。
翌朝、蛋巻と豆乳の朝食をとってHと分かれた後、捷運に乗る前にひとりで立ち寄った有河BOOKで、Hが好きだという陳克華の詩集を二冊買った。
その冒頭の詩「唖鈴(アレイ)の歌」は、以前上海で出会った歌手のCOCOを思い出させた。そのとき彼は僕に自作の詩を聞かせてくれたのだ。残念なことにその詳細は忘れてしまったが、そのタイトルは確か「色のない絵具」だったと思う。色のない絵具で自分の好きな絵を描きたい。見える者にしか見えないその色は、ゲイとしての抑圧された少年時代を象徴している。そこには哀しみと、哀しみから解放される歓びが分かちがたく結びついている。陳克華の詩はそれに似たアンビギュアスな感慨を喚起するものだ。
「色のない絵具」と「唖鈴(=鳴らない鈴)の歌」。そのどちらもが、描くべき(=うたうべき)歓びを自覚しながら、それを表現できない哀しみを深く深く刻み込んでいるようだ。
H、僕は君に出会えたことに感謝しながら、しかしそれを歌にしてうたうすべを持たず途方に暮れている。そんな感傷に浸りながら、僕はひとり淡水の街を後にした。
Tシャツと短パン姿のHは、一眼レフを肩に提げてまぶしそうな表情で僕に近づいてくる。1週間前と同じ、今起きたばかりのような眠たそうなまなざし。襟のあるシャツを着ていない分だけ大学生らしい子どもっぽさが増したように感じる。僕らは大多数の観光客がそうするように、そして僕が今まで幾度となく淡水に来たときと同じように、淡水河畔の道を臭豆腐の香りを嗅ぎながら歩く。待ち合わせを夕方の4時にしておいたのは正解だった。木陰に入った時に吹き寄せる風はもう真夏のそれではない。
河畔の道はまだまだ続くというのに、Hは僕を河畔から離れた中正路の方へと誘う。そして鉄蛋の店の前を過ぎ、通り沿いの廟の脇にある細い坂道を上がっていく。何の変哲もない坂道には、かつての洋行であったことを思わせる古い建物がひっそりと佇んでいた。坂道と目の前に広がる淡水河、その間に細長くはりつく様に建つ瓦葺や煉瓦造りの家や廟は、尾道の街を髣髴とさせる。細い坂道は清水巌という別の廟へと続いていた。その脇から更に奥へと続く細い路地は見たところなんということはない古い住宅街の風情なのだが、“重建街”という名前のこの路地が当地の政治家たちによって失われつつあることを、大学の歴史の授業で淡水の街をフィールドワークしたというHが教えてくれた。夕方の涼しい風に当たっていたおばさんにHが台湾語で話しかける。どうやら、清水巌の近くまで観光バスが入っていけるように、家並みをつぶして路地の拡幅を図るようなのだ。静かな生活を奪われ、引越しを余儀なくされる住民たちの反対運動は、ヤクザがらみの男たちに妨害され、抵抗の声を上げづらくなっている。
利権と分かちがたく結びついた政治は、国や時代を問わず、ささやかな人々の平凡な幸せを簡単に握りつぶすものなのだ。そういうささやかな人に寄り添おうと、熱心に耳を傾けるHの姿が印象的だったが、台湾語がさっぱり分からない僕は分かったような表情で一緒に相槌を打たなければならなかった。
それから僕らは、周杰倫の出身校であり映画『言えない秘密』のロケ地でもある淡江高校のキャンパスを歩いた。その隣の真理大学(旧牛津学堂)もそうだが、馬偕博士(George Leslie Mackay,1844-1901)の遺産は今も美しい建築群として残っている。馬偕氏は宣教師、医師、教育者としてこの淡水の地を皮切りに台湾に多大な貢献をしたスコットランド系カナダ人である。
このあたりから眺める淡水河の風景は、今まで見たことがない。その美しさにばかりに気をとられて写真を撮ったあと、ふと後ろを振り向くと、Hがファインダー越しに僕を見つめている。あわてて顔をそらすと、ほら、こっちを向いてと僕を促す。
─你乖,轉過來吧。
─沒什麽好看的,你不要拍我。
H、僕はこのとき、僕らの年齢差を完全に忘れていた。君が老成しているのか、僕が幼稚なのかはわからない。たぶんその両方なのだろう。
Hの部屋で、鯨向海の詩集や王盛弘のエッセイやよしもとばななの小説を眺めながら、僕はまるで長いこと会っていない大学の同級生に会ったような気分になったものだ。
翌朝、蛋巻と豆乳の朝食をとってHと分かれた後、捷運に乗る前にひとりで立ち寄った有河BOOKで、Hが好きだという陳克華の詩集を二冊買った。
その冒頭の詩「唖鈴(アレイ)の歌」は、以前上海で出会った歌手のCOCOを思い出させた。そのとき彼は僕に自作の詩を聞かせてくれたのだ。残念なことにその詳細は忘れてしまったが、そのタイトルは確か「色のない絵具」だったと思う。色のない絵具で自分の好きな絵を描きたい。見える者にしか見えないその色は、ゲイとしての抑圧された少年時代を象徴している。そこには哀しみと、哀しみから解放される歓びが分かちがたく結びついている。陳克華の詩はそれに似たアンビギュアスな感慨を喚起するものだ。
僕はまた唖鈴のもとへ帰る。唖鈴はまるで/歌のようだ/僕だって似たようなもの;/けれども僕らはどちらもただ黙りこくっているだけ。(陳克華「唖鈴之歌」より抜粋『欠砍頭詩』九歌出版社、1995初版、ぱこにこ訳)
「色のない絵具」と「唖鈴(=鳴らない鈴)の歌」。そのどちらもが、描くべき(=うたうべき)歓びを自覚しながら、それを表現できない哀しみを深く深く刻み込んでいるようだ。
H、僕は君に出会えたことに感謝しながら、しかしそれを歌にしてうたうすべを持たず途方に暮れている。そんな感傷に浸りながら、僕はひとり淡水の街を後にした。
来年はきっと… [alternative]
台南のC大学に勤めるXH(女性)からメールが届く。
─来年11月は台湾にいるでしょ? じゃあこれにいっしょに参加しようよ。
僕ははじめ、シンポジウムか学会か、なにか伝統劇に関するものなのかと思ったが、添付されたURLを開いたら、今年の台湾LGBT Prideに関する記事だった。
http://news.chinatimes.com/2007Cti/2007Cti-News/2007Cti-News-Content/0,4521,50103172+112009110100031,00.html
http://news.chinatimes.com/2007Cti/2007Cti-News/2007Cti-News-Content/0,4521,50103172+112009110100033,00.html
10月31日に行われたパレードは、大いに盛況だったらしい。むろん、パレードが行われることはXHに言われなくても知っていたし、仕事を休めるものなら飛んで行きたかった。
今年で7回目を数えるこのイベントは、当初500人程度の参加者しかなかったという。それが去年は18000人、今年は25000人へと膨れ上がった。その一方で、この機に合わせるように保守的な論陣が目立つようになるという現実もあるようだけど…
今年のテーマは、“同志愛很大 LOVE OUT LOUD”。 なんて力強い言葉!
XHには、「ゲイのカッコイイ男を見に行きたいだけだろー?」とふざけた返事をしておいたけど、来年の今頃はきっと台北の中心で愛を叫んでいるはず…
●台湾同志遊行ウェブサイト→http://www.twpride.info/
─来年11月は台湾にいるでしょ? じゃあこれにいっしょに参加しようよ。
僕ははじめ、シンポジウムか学会か、なにか伝統劇に関するものなのかと思ったが、添付されたURLを開いたら、今年の台湾LGBT Prideに関する記事だった。
http://news.chinatimes.com/2007Cti/2007Cti-News/2007Cti-News-Content/0,4521,50103172+112009110100031,00.html
http://news.chinatimes.com/2007Cti/2007Cti-News/2007Cti-News-Content/0,4521,50103172+112009110100033,00.html
10月31日に行われたパレードは、大いに盛況だったらしい。むろん、パレードが行われることはXHに言われなくても知っていたし、仕事を休めるものなら飛んで行きたかった。
今年で7回目を数えるこのイベントは、当初500人程度の参加者しかなかったという。それが去年は18000人、今年は25000人へと膨れ上がった。その一方で、この機に合わせるように保守的な論陣が目立つようになるという現実もあるようだけど…
今年のテーマは、“同志愛很大 LOVE OUT LOUD”。 なんて力強い言葉!
XHには、「ゲイのカッコイイ男を見に行きたいだけだろー?」とふざけた返事をしておいたけど、来年の今頃はきっと台北の中心で愛を叫んでいるはず…
●台湾同志遊行ウェブサイト→http://www.twpride.info/
二元論につばを吐く [alternative]
きのうは午前中家事をして、午後から買い物へ。まず駅前のジュンクで新書を数冊買う。それからパルコでショートパンツを数本、本通りでTシャツ、シャレオでサンダル、デオデオでPC周りの備品を揃える。あ、皮用のボンドも買いました。いま使っているサンダルを補修するためです(意外に堅実?)。
夜のNHKスペシャルが久々に面白かった。旧海軍将校による「反省会」の会議録が音声として残っていたというもの。軍令部がどのように日本を戦争へと引きずり込んでいったか、が生々しく語られている。軍令部とその他の国家の中枢が、どういう問題を抱えていたのかという議論は重要だ。キャスターの最後の締めくくりもよかった。日本帝国主義という悪を批判するだけでは問題は解決に至らない、なぜなら、軍令部という「組織」の問題は、そのまま現在の我々の抱えている問題ともつながっているからだ。セクショナリズム、問題を隠蔽し責任の所在の曖昧にする姿勢、ムードに流されやすい傾向…
ではいったい彼らを突き動かしていたのは何だろう。善も悪も超越したところにある一種のまがまがしい高揚感のようなものなのかな。さまざまな状況が、そのまがまがしい力を生み育ててしまったのだろうか。
そういえば一昨日読み終わった手塚の『MW』は面白かった。1巻の巻末で花村萬月がエッセイを書いている。
MWが男(Man)と女(Woman)を表しているという指摘にはへぇという感じだけど、この作品が、善と悪、男と女、のような典型的な二元論とは別の場所を目指そうとしているのはなんとなくわかる。二元論とはある種の秩序であって、それを乗り越えようとすることは、秩序の枠に収まりきらない得体のしれない力を獲得することにつながるのだろう。結城美知夫は男と女の間を行き来して、まがまがしい力を得るのである。それは善と悪の二元論を踏み越えてしまった軍令部が抱いたであろう高揚感とも重なっているのではないだろうか。
こんなことをつらつら考えていると、クィアに行きついてしまうのだ。クィアの陽気でポジティブな存在感も、まさに二元論につばを吐いた結果なのである。
夜のNHKスペシャルが久々に面白かった。旧海軍将校による「反省会」の会議録が音声として残っていたというもの。軍令部がどのように日本を戦争へと引きずり込んでいったか、が生々しく語られている。軍令部とその他の国家の中枢が、どういう問題を抱えていたのかという議論は重要だ。キャスターの最後の締めくくりもよかった。日本帝国主義という悪を批判するだけでは問題は解決に至らない、なぜなら、軍令部という「組織」の問題は、そのまま現在の我々の抱えている問題ともつながっているからだ。セクショナリズム、問題を隠蔽し責任の所在の曖昧にする姿勢、ムードに流されやすい傾向…
ではいったい彼らを突き動かしていたのは何だろう。善も悪も超越したところにある一種のまがまがしい高揚感のようなものなのかな。さまざまな状況が、そのまがまがしい力を生み育ててしまったのだろうか。
そういえば一昨日読み終わった手塚の『MW』は面白かった。1巻の巻末で花村萬月がエッセイを書いている。
『MW』はそのストーリーだけを抜き出してノベライズしたら、ご都合主義的な、まるで説得力のない代物である。しかし、手塚には、大衆にむけられた紋切り型の表現である単純な二元論を克服しようという明確な意志があった。その意志に支えられて、男女の境界を平然と踏み越えて結城美知夫は悪の道を疾駆する。
MWが男(Man)と女(Woman)を表しているという指摘にはへぇという感じだけど、この作品が、善と悪、男と女、のような典型的な二元論とは別の場所を目指そうとしているのはなんとなくわかる。二元論とはある種の秩序であって、それを乗り越えようとすることは、秩序の枠に収まりきらない得体のしれない力を獲得することにつながるのだろう。結城美知夫は男と女の間を行き来して、まがまがしい力を得るのである。それは善と悪の二元論を踏み越えてしまった軍令部が抱いたであろう高揚感とも重なっているのではないだろうか。
こんなことをつらつら考えていると、クィアに行きついてしまうのだ。クィアの陽気でポジティブな存在感も、まさに二元論につばを吐いた結果なのである。
いまさら [alternative]
いまさら、『クィアジャパン』を買ってみた。
とりあえず、リターンズの方も含めて4号分。
ほどよくエロな要素もあって面白いね。西野浩司や北丸雄二の小説もよかった。とりわけ北丸雄二の「BANG BANG」は、紀大偉の「儀式」における記憶の問題を想起させる。全体としての構成は緻密さに欠けるが、「儀式」と重なる世界観を描き出していると思う。
榊山保(三島由紀夫?)の「愛の処刑」も掲載されていたのにはびっくり。三島(ってもう決めつけてますけど)はほんとめちゃくちゃ変態ですね。あ、この「変態」は肯定的な意味でですけど。
あと、伏見憲明によるマーク-マクレランドのインタビュー(リターンズ0号)もなかなかよかった。
たとえば、70年代の東郷健の天皇制批判をクィアと結びつけて次のように言う。
もうひとつ、伏見の問い「同性愛に対する差別や抑圧がなくなったら、『自分はゲイである』と『ゲイ』というカテゴリーにアイデンティファイする人はいなくなると思いますか。そしていなくなった方がいいと思いますか」に対しては、こんなふう。
つまり「差異」と「差別」っていうことだよね。「差異」は認め合いながら、「差別」には抵抗するってこと。
同感。
以上も含め、昨日届いた本
・『クイア・ジャパン』vol.1(勁草書房、1999年11月)
・『クイア・ジャパン』vol.2(勁草書房、2000年4月)
・『クイア・ジャパン・リターンズ』vol.0(ポット出版、2005年5月)
・『クイア・ジャパン・リターンズ』vol.1(ポット出版、2005年11月)
・藤森かよこ編『クィア批評』(世織書房、2004年)
・岩間一弘『演技と宣伝のなかで 上海の大衆運動と消えゆく都市中間層』(風響社、2008年)
とりあえず、リターンズの方も含めて4号分。
ほどよくエロな要素もあって面白いね。西野浩司や北丸雄二の小説もよかった。とりわけ北丸雄二の「BANG BANG」は、紀大偉の「儀式」における記憶の問題を想起させる。全体としての構成は緻密さに欠けるが、「儀式」と重なる世界観を描き出していると思う。
榊山保(三島由紀夫?)の「愛の処刑」も掲載されていたのにはびっくり。三島(ってもう決めつけてますけど)はほんとめちゃくちゃ変態ですね。あ、この「変態」は肯定的な意味でですけど。
あと、伏見憲明によるマーク-マクレランドのインタビュー(リターンズ0号)もなかなかよかった。
たとえば、70年代の東郷健の天皇制批判をクィアと結びつけて次のように言う。
私の中でクィアという定義は、自分のセクシュアリティから異性愛主義に反対することではなく、さまざまなオーソリティに反逆的である、ということです。(リターンズ0号、p124)
もうひとつ、伏見の問い「同性愛に対する差別や抑圧がなくなったら、『自分はゲイである』と『ゲイ』というカテゴリーにアイデンティファイする人はいなくなると思いますか。そしていなくなった方がいいと思いますか」に対しては、こんなふう。
私は差異がなくなればいいという考えは持っていません。逆に言うと人がある集合体やアイデンティティを認識することは別に悪いことではなくて、むしろいいことだと思います。そうしないと社会はおもしろくないし、退屈でしょう。区別という言葉もありますが、分けたあとにそこに優位性をつけなければいいだけの話です。(同、p125)
つまり「差異」と「差別」っていうことだよね。「差異」は認め合いながら、「差別」には抵抗するってこと。
同感。
以上も含め、昨日届いた本
・『クイア・ジャパン』vol.1(勁草書房、1999年11月)
・『クイア・ジャパン』vol.2(勁草書房、2000年4月)
・『クイア・ジャパン・リターンズ』vol.0(ポット出版、2005年5月)
・『クイア・ジャパン・リターンズ』vol.1(ポット出版、2005年11月)
・藤森かよこ編『クィア批評』(世織書房、2004年)
・岩間一弘『演技と宣伝のなかで 上海の大衆運動と消えゆく都市中間層』(風響社、2008年)
〇〇の国の王子さま [alternative]
ちょっと仕事のことで頭がこんがらがってきている。
そんななか、ゆうべNHK教育の番組にちょっと癒された。「〇〇の国の王子さま」って、番組名は知っていたけど今までちゃんと見たことはなかった。
柳原可奈子の姫とガマリアという着ぐるみを身につけた有吉弘行のやりとりは結構おもしろい。
そして昨日は「カレーの国」のシンディー王子様。
僕はぴんときました。たぶん…、ね。全体の雰囲気からオーラが漂っています。決めつけはいけないけど、僕は結構敏感なのです。ガマリアが王子に「女の子にも興味があるの?」と言ったのを僕は聞き逃さなかった。彼のセクシュアリティがどうであれ、それをほんわかと自然に包み込んでいる番組作りに好感がもてたのだ。こういうのこそクィア的というべきだよね。このごろのNHK教育はほんとにクィアだ。台湾の公共テレビに続いてほしいなあ。
それにしても爽やかな好青年だ。料理も上手だし…。キーマカレー作りたくなっちゃったな。
ということで、写真はカレーじゃないけど、台北駅のそばの僕の好きなお店の香港風のランチ「焼味飯」です。
そんななか、ゆうべNHK教育の番組にちょっと癒された。「〇〇の国の王子さま」って、番組名は知っていたけど今までちゃんと見たことはなかった。
柳原可奈子の姫とガマリアという着ぐるみを身につけた有吉弘行のやりとりは結構おもしろい。
そして昨日は「カレーの国」のシンディー王子様。
僕はぴんときました。たぶん…、ね。全体の雰囲気からオーラが漂っています。決めつけはいけないけど、僕は結構敏感なのです。ガマリアが王子に「女の子にも興味があるの?」と言ったのを僕は聞き逃さなかった。彼のセクシュアリティがどうであれ、それをほんわかと自然に包み込んでいる番組作りに好感がもてたのだ。こういうのこそクィア的というべきだよね。このごろのNHK教育はほんとにクィアだ。台湾の公共テレビに続いてほしいなあ。
それにしても爽やかな好青年だ。料理も上手だし…。キーマカレー作りたくなっちゃったな。
ということで、写真はカレーじゃないけど、台北駅のそばの僕の好きなお店の香港風のランチ「焼味飯」です。
ボクの彼氏はどこにいる? [alternative]
今年の3月に文庫化されたばかりなのにアマゾンでずっと品切れ状態の『ボクの彼氏はどこにいる?』(石川大我著、講談社文庫)をゆうべ市内のリアル書店でやっと手に入れた。
そのあと、台湾関係でつながっている会社員や研究者の方と飲み会があって、当たり前のように、「ぱこにこさん、ご結婚は?」という話になる。「いや、まだ…」と答えて、「…するつもりないんですよね」と続けると、一瞬、「?」という顔をされた。驚いたような、怪訝そうな表情。「いや、大好きなパートナーと生活を共にしたいという気持ちはあるけど、結婚という制度に縛られたくはないんです」と丁寧に説明すればいいんだけど、なんだか言い訳がましく聞こえるし、ほとんどの人が「恋愛」と「結婚」を当たり前のように重ねてしまうわけだから、言い訳すればするほどこんがらがってしまうのは目に見えている。初対面で「ゲイだから…」と言うのもねえ。こっちも嫌だし、向こうも嫌だろう。
連休中に同僚の家でパーティーしたときも、4人のお子さんがいる新任の先生は、来年僕がサバティカルで台湾に行く話をしているとき、「台湾に行かれる時は、二人で行くんですよね?」と突然質問してきた。僕には「?」という感じで、さっぱり意味が分からない。どうやら、これを機に女性と結婚して、一緒に行けばいいという提案なのだろうけど、僕の想像力が貧困なのか、その先生が固定観念に縛られすぎているのか、なんとも突飛な話にしか聞こえなかった。
「結婚」の反対語はふつう「未婚」である。「未だに結婚していない」状態ということだろう。ということは「未婚」は、「結婚」に繋がっていく言葉である。だから僕は自分が「未婚者」とされるのには違和感を感じる。結婚したいのに、まだできない…そんなニュアンスが「未婚」にはある。あえて言えば「不婚」かな?強制異性愛社会における婚姻制度に取り込まれないことを意思表示するとしたら、こういう言い方になるのかなあ…
ゆうべは台湾の話で盛り上がったけれど、「いや、まだ…」という自分の言葉が魚の小骨のように心にひっかかっていて、二次会には行かずに、流川のいきつけのゲイバーに足を延ばしてしまった。こういうときは発散するに限るのだけど、いやはや一次会でものすごく飲みすぎてしまったみたいで調子がでない。
まあ今は、結婚だか不婚だかについてしょうもない能書きを並べてる場合じゃなくて、石川君の本じゃないけど、「ボクの彼氏」をまず見つけなくちゃ話は始まりませんね(笑)。
そのあと、台湾関係でつながっている会社員や研究者の方と飲み会があって、当たり前のように、「ぱこにこさん、ご結婚は?」という話になる。「いや、まだ…」と答えて、「…するつもりないんですよね」と続けると、一瞬、「?」という顔をされた。驚いたような、怪訝そうな表情。「いや、大好きなパートナーと生活を共にしたいという気持ちはあるけど、結婚という制度に縛られたくはないんです」と丁寧に説明すればいいんだけど、なんだか言い訳がましく聞こえるし、ほとんどの人が「恋愛」と「結婚」を当たり前のように重ねてしまうわけだから、言い訳すればするほどこんがらがってしまうのは目に見えている。初対面で「ゲイだから…」と言うのもねえ。こっちも嫌だし、向こうも嫌だろう。
連休中に同僚の家でパーティーしたときも、4人のお子さんがいる新任の先生は、来年僕がサバティカルで台湾に行く話をしているとき、「台湾に行かれる時は、二人で行くんですよね?」と突然質問してきた。僕には「?」という感じで、さっぱり意味が分からない。どうやら、これを機に女性と結婚して、一緒に行けばいいという提案なのだろうけど、僕の想像力が貧困なのか、その先生が固定観念に縛られすぎているのか、なんとも突飛な話にしか聞こえなかった。
「結婚」の反対語はふつう「未婚」である。「未だに結婚していない」状態ということだろう。ということは「未婚」は、「結婚」に繋がっていく言葉である。だから僕は自分が「未婚者」とされるのには違和感を感じる。結婚したいのに、まだできない…そんなニュアンスが「未婚」にはある。あえて言えば「不婚」かな?強制異性愛社会における婚姻制度に取り込まれないことを意思表示するとしたら、こういう言い方になるのかなあ…
ゆうべは台湾の話で盛り上がったけれど、「いや、まだ…」という自分の言葉が魚の小骨のように心にひっかかっていて、二次会には行かずに、流川のいきつけのゲイバーに足を延ばしてしまった。こういうときは発散するに限るのだけど、いやはや一次会でものすごく飲みすぎてしまったみたいで調子がでない。
まあ今は、結婚だか不婚だかについてしょうもない能書きを並べてる場合じゃなくて、石川君の本じゃないけど、「ボクの彼氏」をまず見つけなくちゃ話は始まりませんね(笑)。