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二元論につばを吐く [alternative]

mw.jpgきのうは午前中家事をして、午後から買い物へ。まず駅前のジュンクで新書を数冊買う。それからパルコでショートパンツを数本、本通りでTシャツ、シャレオでサンダル、デオデオでPC周りの備品を揃える。あ、皮用のボンドも買いました。いま使っているサンダルを補修するためです(意外に堅実?)。

夜のNHKスペシャルが久々に面白かった。旧海軍将校による「反省会」の会議録が音声として残っていたというもの。軍令部がどのように日本を戦争へと引きずり込んでいったか、が生々しく語られている。軍令部とその他の国家の中枢が、どういう問題を抱えていたのかという議論は重要だ。キャスターの最後の締めくくりもよかった。日本帝国主義という悪を批判するだけでは問題は解決に至らない、なぜなら、軍令部という「組織」の問題は、そのまま現在の我々の抱えている問題ともつながっているからだ。セクショナリズム、問題を隠蔽し責任の所在の曖昧にする姿勢、ムードに流されやすい傾向…
ではいったい彼らを突き動かしていたのは何だろう。善も悪も超越したところにある一種のまがまがしい高揚感のようなものなのかな。さまざまな状況が、そのまがまがしい力を生み育ててしまったのだろうか。

そういえば一昨日読み終わった手塚の『MW』は面白かった。1巻の巻末で花村萬月がエッセイを書いている。

『MW』はそのストーリーだけを抜き出してノベライズしたら、ご都合主義的な、まるで説得力のない代物である。しかし、手塚には、大衆にむけられた紋切り型の表現である単純な二元論を克服しようという明確な意志があった。その意志に支えられて、男女の境界を平然と踏み越えて結城美知夫は悪の道を疾駆する。

MWが男(Man)と女(Woman)を表しているという指摘にはへぇという感じだけど、この作品が、善と悪、男と女、のような典型的な二元論とは別の場所を目指そうとしているのはなんとなくわかる。二元論とはある種の秩序であって、それを乗り越えようとすることは、秩序の枠に収まりきらない得体のしれない力を獲得することにつながるのだろう。結城美知夫は男と女の間を行き来して、まがまがしい力を得るのである。それは善と悪の二元論を踏み越えてしまった軍令部が抱いたであろう高揚感とも重なっているのではないだろうか。

こんなことをつらつら考えていると、クィアに行きついてしまうのだ。クィアの陽気でポジティブな存在感も、まさに二元論につばを吐いた結果なのである。
タグ: LGBT
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