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台北観劇指南(基礎編) [theatre]

台湾に来ることの楽しみの一つ(といっても大きな部分を占めるのは間違いない)が、芝居を観ることだった。ちょうど滞在五か月が過ぎたところだが、数えてみたら今のところ観た舞台は44ステージにのぼる。7-8月は何かと忙しかったので数をこなせなかったが、4-6月は毎月10ステージ以上を観ている。上海に滞在するときには研究対象の伝統劇は欠かさずに観ようと努力しても、他の芝居にまで目配りする余裕は正直ない。でも余裕のある台湾滞在では、現代劇、ミュージカル、ダンス、学生演劇、なんでもござれで観まくっている。だからもちろん、芝居を観るためだけに高鉄に乗って高雄まで行き、とんでもない芝居に落胆するなんていうことにもなった。編集者で芝居好きのYZにその話をしたら、「なんであんな劇団の芝居なんて観に行くんだ?」と笑われたが、小説は読んでみるまではその面白さが分からない、芝居だって観てみなければ面白いかどうかはわからないではないか。

さて、芝居を観るために前もってしていることを記しておこう。つまりどうやって情報を仕入れるか、ということなんだけど。

中正文化センター.jpg①『月節目簡介 Monthly Program』
まず劇場はもちろん、捷運(メトロ)の駅や書店などに置いてある国立中正文化中心(以下、文化センター)が発行している月刊フリーペーパー『月節目簡介 Monthly Program』を手に入れる。ここには文化センターが運営する国家戯劇院、国家音楽庁のプログラムが掲載されている。同時にこの文化センターが手掛ける「ぴあ」のようなチケット販売で扱う演目についても細かく情報が載っているのがポイントだ。このチケットサービスを「両廳院售票NTCH Ticketing Service」という。このチケットサービスを経由して購入できるプログラムはかなりの数にのぼるので、時間がなければこのフリーペーパーだけを頼りに観劇計画を立てても相当面白いと思う。網羅しているのは、音楽、演劇、舞踊、親子(子供向けのプログラム)、映画、などである(ちなみに映画についてはかなり少ない)。
●Web→http://www.artsticket.com.tw/CKSCC2005/Home/Home00/index.aspx

カルチャーエクスプレス.jpg②『文化快逓 CULTURE EXPRESS』
これも月刊のフリーペーパーで、別名を「台北市芸文資訊総覧」といい台北市文化局が発行している。これも①と同じく方々に置いてありとても便利である。これのいいところは①のチケットサービスで扱っていないプログラムまで網羅していること、「専題特区」としてその月の注目すべきイベントを詳しく紹介していること、美術展の情報があること、台北市内のイベントだけでなく、近隣のイベントも多少扱っていることなどである。ただしとりわけ舞台に関する紹介は①に及ばないところがあり、やはり②だけを観ていては物足りない。
●Web→http://express.culture.gov.tw/home.php

とりあえずこの二つを観ておけば大丈夫だが、「両廳院售票」で扱っていないチケットは、直接劇団に問い合わせるか、あるいは「年代售票 ERA TICKET」で扱っている可能性があるので確かめなければならない。「年代售票」がいいのは、各コンビニエンスストアでチケット購入ができることである。ただし「年代售票」が扱う演劇の類はあまり多くはない。「両廳院售票」はネット上でも購入できるが、会員登録やネット決済が条件なのでやや面倒だろう。ちなみに僕自身は、「両廳院售票」のネットワークである誠品書店で購入している。

と、ここまで書いて、こういうことは某研究会の会報に書けばよかったかな、とちょっと後悔。ま、いいか。

タグ:台湾 演劇
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舞台の上を何かが… [theatre]

〆切の過ぎた(?)仕事にしばらく追われ、ブログが更新できませんでした…orz

4月24日
前夜は先週に引き続きYLに連れられ割と新しいGayClubへ。うーん、もうこういうところへ来るような年齢ではないね(というかそういう年齢のときにも遊びに来たことはなかったけれど)。JT大の院生Bに出会えたことが唯一の収穫。友達が増えるのはいいことだ。

そんなわけで翌24日はお昼頃起床。肌寒いのでほんとうは温泉に行きたかったけど、もう時間がない。夜は保安宮のお祭りに行くのだ。途中、信義の誠品でCDやDVDを買い、地階のフードコートで遅すぎる食事をとる。

保安宮は捷運の円山駅からほど近い場所にある。19:00から始まる家姓戯(歌仔戯)に間に合うようにと6時過ぎには到着したが、もう孔子廟の近くにまで行列ができている。最初は何の列かと思ったが、最後尾のおばさんに聞いたらやはり芝居を観るためとのこと。「昨日も同じ劇団だったんだけど、すごい人気であまりにも観客が多かったから今日は入口を制限してるのよ」
保生大帝の聖誕(農暦3月15日)を記念する保生祭では、家姓戯と呼ばれる酬神戯が連夜上演される。正殿に正対する場所に仮の舞台を建て神様にご覧いただく芝居を、僕らがご相伴に与ってみせていただくのである。もちろんチケットを買う必要もない。タダだ。

入口で小さな椅子を受け取って、前からつめていく。もちろん露天である。舞台の上では既に「扮仙酬神」とあって神様や仙女のかっこうをした役者がポーズをとったり踊ったりしている。それにしてもすごい人、人、人…。

保生祭3.jpgこの日の舞台に立つのは春美歌劇団という歌仔戯の劇団。現在の台柱・郭春美の両親が作った「藝人少女歌劇団」が前身でもう20年余りの歴史があるという。

戯碼(演目)は「乱世迷雲」。台湾語でよく内容が分からず、調べないでいい加減なことは書けないが、大意は以下のようなもの。自分たちを迫害していた敵にこっそり娘を近づけて殺そうとするが、娘は相手を愛してしまい、後に引けず自分も一緒に毒を飲んで死のうとする。しかし相手に毒を盛り、自分もあおった後で、実は本当に悪いのは別の者だったということが分かる。なぜか解毒剤でふたりは死を免れ、真の悪者を殺して幕、というなんともご都合主義なエンディング。伝統劇は団円が原則なのでこの無理やりな終わり方も仕方ない。というか、いくら悪者とはいえ、殺す場面を神様に見せてもいいのかな…。

全体になんというか散漫でゆるい感じが瀰漫していて、そこがまたいいのである。このゆるいテンションでも、おばさんたちは感動しているのだ。

芝居が始まってすぐ、5分か10分ごとに舞台の上を轟音を立てて通り過ぎていく物体がある。しかもバカでかい!(ちょっと、というかかなり映りが悪いですが…)
保生祭1.jpg





















近くの松山空港に降り立つ旅客機でした。しかし誰もそんなこと気にしていないのがフシギ…(笑)

●保安宮→http://www.baoan.org.tw/asp/Home/default.asp
●保生文化祭2010→http://www.baoan.org.tw/HTML/Yearact/yearact_2010.html
●春美歌劇団→http://chunmei-kuo.myweb.hinet.net/

買ったCD、DVD、本
・陳永龍『日光雨中』(CD)
・蘇打緑『蘇打緑』(CD)
・Discovery台湾人物誌『林懐民』(DVD)
・小峰『風岩風嶼』上・下(神話・同人文化会館、2009年)

タグ:演劇 台湾
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ひさびさのダンス [theatre]

yunmen2chundou2-s.jpg4月21日
この日は19:30から信義の新舞台で雲門舞集のダンスを観にいった。行く前の日になってチケットを見直してみたら「雲門舞集2」の舞台「春鬥2010 spring riot」となっている。調べてみると、いわゆる1軍の「雲門舞集」が海外に進出するようになってから作られたいわば2軍だそうだ。若手中心ということだがルーキーの集まりということでもあり侮れないかもしれない。

初日ということもありファウンダーの林懐民がまず舞台挨拶。はじめて生で林老師を見たけど、誰かに似てるなあ… いま思いついたんだけど、詩人の谷川俊太郎さんの醸し出す雰囲気と通じるものがある。ふたりとも“自由”のオーラを放ってるといったらいいのかな。

カンパニーの「2」を作ってダンサーの育成や舞踊文化の普及に努めている雲門らしく、まずは若手のコレオグラファーやダンサーへの羅曼菲舞踏奨助金の授与式が行われた。受賞者の中にまるで裏方スタッフのような可愛い男の子がいて、それがこの日の作品を作った黄翊だった。授賞式といってもとにかく自由な感じがとてもいい。

さて舞台は3つの作品から構成されている。一つ目は古名伸振付「碎浪海岸 Endless Shore」、二つ目は黄翊振付「浮動的房間 Floating Domain」、最後は鄭宋龍振付「裂 Crack」。「碎浪海岸」はスタンドアップライトを効果的に使った構成だけど、なんというかありきたりの動きと明らかに稽古不足の感じが否めない。女の子が肉付きがいいのはいいんだけど、敏捷さに欠けダンスのリズムを崩している。いっそ肉付きのよさをダンスに活かすようなやり方(極端にいうと近藤良平さんのコンドルズみたいな)を採ればよいのに、という感じ。ダンスと肉体がちぐはぐに結びついている、というか、ダンスが無理やり肉体を引っ張っている、と言ったらいいのかな。最後の「裂」は悪くはないんだけど、ノイジーな音楽が耳にさわった。動きの面白さに奇をてらった感じがにじみ出ていてそれも好ましくない。

floating domain2-s.jpgちょっと不満の残る2作品に挟まれた「浮動的房間」。これがまあ、とにかく非常によかった。まず衣裳がいい。特殊に織り込んだ生地でそれじたいが陰影をうまく表現している。次に音楽がいい。シンプルなバッハのピアノがダンサーの動きを際立たせるだけでなく、
「部屋の中の孤独」も上手に表している。
そしてダンサー。人間の日常の中の何気ないしぐさがいつのまにかダンスの動きとして昇華している、そういう動きの積み重ね。「いつのまにか」をもっと直接的に表現すれば、「するりと」という副詞がぴたりとくる。人間が「物」になりまた人間に戻る、「物」が動き出してまた「物」に戻る。ひとりひとりのダンサーがまるで大きな生命体のなかの細胞のように動くと、生命体そのもの(ここでは孤独な部屋)じたいがフローティングし始める。まさにFloating Domainである。
ここで想起するのがやはりピナ・バウシュのタンツ・テアター。人間の本来持っている日常の動きを「するりと」異化させてしまう技術はピナの影響かなあ。

それからこれは実際に観て欲しいから詳しくは言わないけど、一回客席がどよめくような笑い声が起きたのだ。ダンスで観客を笑わせるとは… 黄翊、きみは相当の曲者だね(笑)。

●雲門舞集→http://www.cloudgate.org.tw/
●雲門舞集2ブログ→http://cloudgate2.pixnet.net/blog
●黄翊 ウェブサイト→http://www.huangyi.tw/
タグ:台湾 ダンス
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阿必大はなぜ嫁ぎ先に戻ったか [theatre]

宋芳茶館.jpg「阿必大回娘家(阿必大の里帰り)」は滬劇(上海の地方劇)の代表的演目である。
阿必大(アピタ)は貧しい家の生まれで、幼くして両親を失い、童養媳として李家に入る。李家の姑は阿必大に対して虐待の限りを尽くし、さらに実家(母親代わりのおばの家)に里帰りすることを許さない。ある日おばは、阿必大の兄に、妹を連れて里帰りするよう言いつける。しかし李家の姑は、里帰りを許さないばかりか、兄をも追い出してしまう。それに怒ったおばは、自ら李家に出向き、姑とやりあって、阿必大を連れて帰ることに成功する…

「童養媳」とは、息子の嫁にするために買ったりもらったりして幼いときから育てた少女のことである。成人するまでは下女として働かせることが多く、阿必大のように虐げられていた少女は少なくなかったろう。
梗概だけを読むとあまり雰囲気は伝わってこないが、この演目はほとんど喜劇仕立てで演じられる。体の右と左を半分ずつメイクし分けて、阿必大と姑の二役をひとりの役者でこなす場合もあるなど、滑稽味にあふれる舞台になる。「雌老虎」とあだ名がつけられるほどの姑から、阿必大が救い出されて、めでたしめでたし、となるわけだ。
今月、上海の逸夫舞台でみた「阿必大」は少し様子が違った。阿必大が救い出されたあと、李家の主人九官と阿必大の夫が、阿必大とおばに詫びを入れ、戻って来てほしいと哀願するのである。姑がまた同じような虐待を繰り返したら、家から追い出し尼僧にしてしまうから、と下手に出る。結局、阿必大は李家と和解し、嫁ぎ先にもどることになるのだ。
李九官とその息子(阿必大の夫)が頼りなげに詫びを入れ、一方では姑に凄む様子に観客は大爆笑で、それは言ってみれば、吉本新喜劇の風情なのである。

確かにおもしろい。役者の芸も光っている。でも何か違和感を感じないわけにはいかなかった。

後で調べてみると、阿必大が李家と和解し、そして嫁ぎ先へと戻っていくくだりは、新たに創作したもののようである。当地の新聞記事によると、「阿必大の芝居はまだ終わっていない。彼女には美しい結末が必要だ」(『新民晩報』4月26日)との趣旨で創作されたという。
この芝居で際立つキャラクターは、言うまでもなく虐待する姑と、虐げられながらも健気な阿必大、そして姑に対して毅然とした態度で臨むおばの三人の女だ。それぞれに質は異なるものの、「強い女」が表現されている。それとは対照的に、男たちの描写はなんとも頼りなく、滑稽だ。そのコントラストがなんとも言えない諧謔味というか、味わい深い面白みを感じさせるのである。

しかし、この新しい創作部分によって、女たちの強さは失われてしまった。それぞれの行為によって「家」の制度を壊し、壊したままで幕を閉じる元の内容と違い、女たちは、「和解」、「円満な結末」という名のもとに、結局その秩序の中に帰っていく。目指した「美しさ」とは、「家という秩序」への「妥協」だったのである。けれどもこの構図は、男たちを笑えるキャラクターに仕立て上げることで巧妙に隠され見えにくくなっている。

この意図はなんだろう。五輪を控え内憂外患に悲鳴を上げている中国が掲げているのは「和諧(調和)」というスローガンである。この笑いでコーティングされた舞台の向こうに、政治的な意図を見透かすことは可能であろうか。「家」の前に「国」を入れれば、「国家という秩序」への「妥協」である。
この時期にこの新作が上演されたことの意味に、もう少し敏感になる必要がありそうだ。

(写真:宋芳茶館)
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